日本のメロディックパンクバンド〜90年代前半結成バンド編

◆メロディックパンク

サメちよくん
サメちよくん

そういやメロディックパンクやメロコアのバンドってどんなバンドがいるの?

DJ SYUMOKU
DJ SYUMOKU

日本のメロディックパンク黎明期は1990年代前半だね。今回はメロディックパンクシーンの始まりを支えた90年代のバンドを中心に紹介していこうか。

サメちよくん
サメちよくん

わ〜い!じゃあ今日はメロディックパンクバンドを勉強したいっす!

 90年代初頭〜半ばまで結成の日本のメロディックパンクバンド、そしておすすめのアルバム・楽曲をまとめてみました。メロディックパンクをこよなく愛するが故の偏り、高すぎる熱などが随所に見えてしまう可能性がありますが、なるべく定番どころ・入門編から紹介しているつもりですので、ぜひこの記事をきっかけにハマっていただけたら嬉しいです。

メロディックパンクとは?

 簡潔に言うと、メロディーに重点を置いた疾走感のあるパンクロックのことを“メロディックパンク”と呼びます。メロディック・ハードコアやスケートパンクの要素を含んだアップテンポでメロディックなサウンドのバンドたちのことを指します。ルーツとしてはUS西海岸パンクの影響を受けながら独自の進化を遂げてきたのが、日本のメロディック・パンクシーンです。

 更にメロディックパンクのことを詳しく知りたい!という方は、下記特集のメロディックパンク項で掘り下げていますのでぜひ。▼

90年代メロディックパンクシーン

 1990年代はまさに日本のメロディックパンクの黎明期〜成長期
 日本のパンクロックシーンのみならず音楽シーン全体にとっても大きな影響を及ぼしたHi-STANDARD(ハイスタンダード)の誕生こそが、日本のメロディックパンクの幕開けを意味すると言っても過言ではないでしょう。今でもハイスタことHi-STANDARDに憧れてメロディックパンクを始める若手バンドが居るほどの影響力を持つ、現役のレジェンドバンドです。ハイスタは国内のメロディックパンクの第一人者であると同時に、海外からレーベルの運営を含むDIY的なインディーズバンドのあり方を示したり、活動の幅を国内に囚われなかったり、AIR JAMのようにバンド主体の理念を持ったフェスを主催するなど、その数々の功績がパンクロックやメロディックパンクといったジャンルの垣根を超えて、多くの後続バンドに影響を与えてきた存在なのです。

 そんなハイスタを筆頭に日本の音楽シーンに旋風を巻き起こった90年代のメロディックパンクのムーブメント。
 90年代前半と後半に結成年を分けて、いわゆるメロディックパンクのバンドを一挙ご紹介。
 今回は1990年〜95年結成バンド編です。代表曲を中心におすすめの曲やアルバムも一緒にまとめてみましたので、気になるバンドが見つけてもらえたら嬉しいです!
 

Hi-STANDARD

 1995年1st『GROWING UP』収録。

 1991年結成。日本のパンクロックのみならず当時のインディーズシーンにも多大な影響を与えた永遠のパンク・ロック・ヒーロー、Hi-STANDARD(ハイスタンダード)。ハイスタの略称で親しまれるHi-STANDARDは、メロディック・パンクを国内に根付かせた第一人者であるとも言えるでしょう。

 積極的な国外での活動

 海外では80年代後半から徐々に台頭してきたメロディック・ハードコアやポップ・パンクの勢力が90年代初頭に爆発的な人気を博しますが、90年代初頭に日本人バンドでありながら彼らと肩を並べて海外でも活躍したのはハイスタが成し得た大きな功績でしょう。
 活動初期から来日バンドのオープニングアクトを務めるなど積極的に海外バンドとの交流を持っており、NOFXの来日ツアーに帯同したこと(後々には世界各地で共にツアーを巡ることになる)を機にNOFXのベース・ボーカルであるFat Mike(ファット・マイク)が設立したレーベル“Fat Wreck Chords”より、既に国内でリリースしていた1stアルバム『GROWING UP』を全世界に向けてリリース。
 以後の海外流通はFAT盤でリリースしており、後にFat MiKeが「一時はHi-STANDARDがFat Wreck Chordsで最も売れたバンドだった」と語っている1ほどの確たる評価を得ています。このように海外での評価が先行した経緯で、逆輸入バンドと評されることもありました。

 日本国内でのメロディック・シーンを牽引 / PIZZA OF DEATHの独立

 日本でのハイスタはどうだったのか?と言えば、トイズファクトリー内の小レーベルであったPIZZA OF DEATH(ピザオブデス)をバンド主体のインディーズレーベルとして独立し(経緯としてはトイズファクトリー傘下→ハウリング・ブル2傘下→独立という流れ)、それを機にリリースされた1999年発売3rdアルバム『MAIKING THE ROAD』が国内外で100万枚以上という爆発的なヒットを記録。海外のバンドと密に交流していたからこそできたDIY的な精神を持つレーベルの形やインディーズバンドの多大な可能性を示したことが、後続のバンドや音楽シーン全体にも大きな影響を与えました。また1997年〜2000年にかけて3回、AIR JAMというパンクロックとストリートカルチャーとのクロスオーバー的イベントでありハイスタを中心に企画されたフェスが開催されたというのも大きな功績の一つです。当時を知る人をAIR JAM世代と呼んだりすることも。2000年8月千葉マリンスタジアムにて開催された“AIR JAM 2000”のライブを以て活動休止となりました。

ジャパニーズメロディックパンク金字塔『MAIKING THE ROAD』

 1999年発売、3rdアルバム『MAIKING THE ROAD』は最高傑作との呼び声が高く、ジャパニーズパンクの金字塔であることは間違いないでしょう。
 レーベル独立第一弾で大ヒットを記録したという結果はもちろんのこと、大衆に迎合しない自分たちのパンクロックを示したという点もこの作品が名盤たる所以だと思います。1stアルバム『GLOWING UP』でアンダーグラウンドでヘヴィなパンクロックが主流であったパンクシーンに“メロディアスで疾走感のあるパンク”という新しいスタイルをストリートカルチャーごと提示し、2ndアルバム『ANGRY FIST』ではハイスタというバンドが持つパンク精神や無骨さを表現しました。ここに至るまでの簡単ではない道程があるからこそ、このアルバムで彼らの真価が遺憾無く発揮されたのではないでしょうか。
 思わず笑ってしまうようなふざけた曲から自然と涙が出るような美しい曲まで振り幅が大きいアルバムですが、全曲を通して何度も聴きたくなるようなハイスタらしさに溢れていて『MAIKING THE ROAD』という一つの作品としての完成度の高さを思い知らされます。腹の奥底から熱いものが込み上げてきて居ても立ってもいられなくなるような奮い立つ楽曲たちは、一曲たりとも欠けてはいけない大事なピースです。

活動休止から現在までの道程

 2000年8月のAIR JAM2000を以って活動休止となったHi-STANDARDは、休止中に紆余曲折もありましたが、2011年3月11日東日本大震災を受け、2011年4月に “AIR JAM 2011”の開催をメンバー3人のTwitterより告知。告知文である「9.18 ハイ・スタンダード AIR JAM。届け!!!」の言葉通り、2011年9月18日に横浜スタジアムにて“AIR JAM 2011”を開催し、ハイスタの復活が当時の日本中を勇気づけました。当時、ライブPAチームから発足されパンクシーンを中心に広がり始めていた震災復興プロジェクト『東北ライブハウス大作戦』とも連動。翌年の“AIR JAM 2012”は宮城県国営みちのく杜の湖畔公園 みちのく公園北地区 『風の草原』にて行われ、悲願の東北開催を果たしました。
 ハイスタの再始動が「東日本大震災復興のために何かできないか」という動機だったこともあり、ライブ活動のみでの活動再開なのだろうと思われていました。それだけでも日本中に希望を与え、パンクキッズにとってはこれ以上望むことなどないほどの喜びであったわけですが、それから数年経ち、2016年10月4日事前告知なしで全国のCDショップの店頭に並んだのがハイスタのニューシングル『Another Starting Line』。2016年10月5日発売タイトルのフラゲ日の出来事でした。

増井鮫
増井鮫

当時CDショップ店員だったため、この『事前告知なし販売』というハイスタからの全世代の音楽ファンに向けたサプライズは鳥肌の連続で、まさにCDショップ/レコード屋における伝説の1日でした。CDが売れないと言われる今の時代にあのリリース形態ができるのはおそらくハイスタしかいないでしょう。店舗でのジャンル担当者だった運の良さもあり、驚きと喜びに高揚するキッズたちがハイスタの新作シングルを手に取り帰っていく様子をリアルタイムで目にしました。後追い世代である自分がこれだけ興奮したんだから、AIR JAM世代の喜びと言ったら計り知れません。仕事終わりにスーツ姿で駆け込んでくる姿に胸を打たれたし、今でもあの日のことは鮮明に思い出せます。ハイスタには人生においてかけがえのない経験をさせてもらえました。

 翌年の2017年10月4日、実に18年ぶりとなる4thフルアルバム『The Gift』が発売。
 アルバムリリースに先駆けて、同年7月に全国の主要六都市に広告看板を出して突如告知。その後正式にリリース告知をしますが、アルバム発売同日にDVD『LIVE at AIR JAM 2000』事前告知なしでリリース。こちらもまた大きな反響を呼びました。
 その後、2018年11月10日にはドキュメンタリー映画『SOUNDS LIKE SHIT : the story of Hi-STANDARD』を公開。苦悩の裏側を三者三様、包み隠さず語ってくれているので、ファン必見の映画。胸が痛くなるようなエピソードもありますが、全てをひっくるめてハイスタってバンドのカッコ良さと生き様に惚れ直すこと間違いなしです。

 そして、2023年2月14日。ドラム・恒岡章の突然の訃報。
 ハイスタに憧れた多くのバンドマンやファンを中心に追悼の声が集まる中、横山・難波の連名でバンドの活動継続を発表。ハイスタというバンドの存在が多くの人に大きな希望を与えてくれることは、今までの道程で証明しています。前例のないバンドが走り続けていくこれからの未来で、きっとまだまだ最高の景色を見せてくれることを予感しています。

シーンを代表・先駆したバンド達〜90年代前半

 Hi-STANDARDと共に日本のメロディック・パンクの黎明期を支え、駆け抜けたバンドを一挙ご紹介。黎明期ならではのジャンルに捉われないクロスオーバー3の面白さやそれぞれのバンドの個性が爆発しているのも魅力。今もなお現役のバンドから、解散or休止後も愛され続けている隠れたレジェンドバンドまで。
 今のメロディックシーンの原点がここに。

HUSKING BEE

 1994年結成。日本のエモ/メロコアシーンを牽引し続けてきたバンド、HUSKING BEE(ハスキング・ビー)。
 ハスキンの略称で親しまれるHUSKING BEEは、2005年に解散。2012年に新メンバーを加え再結成し今に至ります。日本のエモの先駆者的バンドでありながら、特に90年代メロディックパンクシーンを牽引しました。エモ(及びエモコア)やメロディックだけでなく、オルタナやパワーポップなども取り入れ、多様性がありジャンルに捉われず貫くHUSKING BEEならではのスタイルが魅力。

 ハスキンは、95年8月に今も昔もコアな人気を誇り続けるパンクロックレーベルSnuffy SmileV.A.『NOT SUPERSTITIOUS Ⅲ』に参加した後、その後7インチ2作とオムニバスに参加。96年12月にはPIZZA OF DEATHより1stアルバム『GRIP』をリリースします。メロディックパンクシーンにおいて重要なこの2レーベルからのリリースは彼らが全国区になる大きなきっかけとなりました。

 HUSKING BEEがメロディックパンクファンから今でも根強い人気を誇るのは、この1stアルバム『GRIP』の存在も大きいのではないでしょうか。HUSKING BEEの魅力は、哀愁漂うメロディと歌詞。メロディやビートもメロコア/メロディックパンクに拘らず、侘び寂びを感じさせるサウンドが涙を誘います。日本のロックやポップスに馴染んだ人こそハスキンの端々に漂う情感に心を動かされること間違いありません。
 メロディックパンクファンから名盤として挙げられることも多く、その評価に相応しい作品である『GRIP』。全15曲どれをとっても初期ハスキンの魅力が爆発しているのですが、今もなおファンに愛され続けている名曲「WALK」の存在は外せません。心にまっすぐ響くエモーショナルな歌声とメロディ。迷いながら前へ進もうとしている人の背中をそっと押してくれる名曲。

 ちなみに再結成後、『GRIP』の発売から20年後に出された8thアルバム『Suolo』のジャケットは、『GRIP』に映っている少年と同じ男性。20年の月日が経ち、父親になっていた彼のように、大人になったファン達に届ける最高の一枚。個人的に持っているハスキンのイメージに一致することもあり、再結成後の作品の中では一番好きです。

STOMPIN’BIRD

2015年発売7thアルバム『Wild Ride』収録。

 1994年結成。横浜発。スリーピースメロディックパンクバンド、STOMPIN’BIRD(ストンピンバード)
 F.A.D 横浜や川崎クラブチッタなどの神奈川近辺のライブハウスを中心に全国各地のライブハウスを沸かし続ける正真正銘のパンクバンド。どこまでも汗臭く泥臭く男らしい。パンク魂に満ち溢れた熱量の高いライブに定評のある彼ら。直球のメロコアサウンドの曲もあれば、初期パンク、ガレージ、サイコビリーの要素を感じさせるような曲もあるのがSTOMPIN’BIRDならでは。

 30周年を超える長いキャリアの中で、ドラマーの交代があったものの今もなお活動を続けています。精力的にライブ活動を続けながらコンスタントにアルバムも制作しており、1999年に自身主宰のインディーレーベルUP RECORDSを設立し、1stアルバム『Let’s Try Our Luck!』以降の作品をそちらでリリースしています。

 数ある作品の中で迷いましたが、今回紹介したい作品は2015年10月7日発売7thアルバム『Wild Ride』
 ストンピンの泥臭い魅力をたっぷり詰め込み、ライブハウスの熱狂を思い起こさせるような渋カッコいいメロディックパンクが思う存分堪能できる全11曲。各所でスカやレゲエのアレンジが効いていたり、遊び心と表現幅の広さを感じさせる一枚。「Big Liar」のかえるの合唱をパンクオマージュしているフレーズがインパクト大でワクワクしてしまいます。

Nobodys

 1992年結成。福島いわき市発。スリーピース・パンクロックバンド“Nobodys”(ノーバディーズ)
 速くてやかましくてカッコイイ。初期衝動に満ち溢れたパンクサウンドとキャッチーなメロディで、多くのメロディックファンとバンドマン達にも影響を与えた、今もなおコアな人気を誇り続けるバンドです。

 結成後デモを送ったSnuffy Smileから、前述のHUSKING BEEと同じコンピ作品である『NOT SUPERSTITIOUS Ⅲ』に楽曲が収録されると瞬く間に注目が集まりました。90年代半ば〜後半には、渡米ライブやアメリカのV.M.L.Recordsからのリリースなど国外での活動もありましたが、1998年に惜しまれつつも解散となりました。
 Nobodysの名が後世のパンクキッズ達にも語り継がれているのは、マキシマム ザ ホルモン1stアルバム『耳噛じる』の中でカバーしていることが有名なことも関係しているかもしれません。こちらでは「NOBODYS」という曲名で、「I Hate Fuckin’ Myself」と「Why Can You Stand?」2曲のパンク愛に溢れたカバーを披露しているのでこちらもぜひ。

 そんなNobodysの作品といえば、やはり1996年発売の1stアルバム『Why can you stand?』が印象的です。
 ナイフとピストルを構えたポップなクマちゃんがイカしているジャケットデザイン。僅か22分30秒を駆け抜けるショートチューン満載の全11曲。体が自然と動き出しシンガロングしたくなるような疾走感と爽快感に溢れた名作パンクアルバム。最後の曲の「夕凪」のリコーダーもまた味があり、青春を感じさせてたまらないラストです。

NAVEL

 1994年結成。名古屋のメロディックを語る上で外せないメロディックパンクバンド“NAVEL”(ネーブル)。
 爽快感のあるサウンドと疾走感のあるメロディ、どこか切なさを感じるメロディックパンクが魅力。中京地区を中心にバンドマンからの支持も熱く、硬派なメロディックパンクファンそれぞれに並々ならぬ思いを抱かせ、今もなお愛され続ける現役バンドです。

 Snuffy Smileのメロディックバンドと言えば彼らの存在は欠かせません。
 ほとんどが廃盤作品になっており、今入手できるものは自主レーベルからの再発を待つか、中古市場で探すしかなさそうです。2015年発売、10年半ぶりのニューアルバム『HEARTACHE』(猫ジャケが最高)を購入することができ、後追いで過去作の再発盤を聴くことができましたが、オリジナルメンバーで収録された90年代収録の音源が全て収録されているコンピ作品『1994-1999』がオススメです。ノスタルジーを感じさせるメロディーと爽快なショートチューン達に心奪われること間違いなしです。

Cigaretteman

 1993年結成。名古屋発。男女ツインボーカル・メロディックパンクバンド“Cigaretteman”(シガレットマン)。
 解散発表はないものの、2000年以後は事実上の活動休止。今の時代に聴いても何ら色褪せを感じない、JAWBREAKERらの影響を感じさせるUS哀愁メロディック直系サウンド。この時代には珍しい独自路線と唯一無二の魅力で、今もなお熱狂的なファンが多数存在しています。

 活動中にアルバム形態での発売はなく、デモテープやカセット、EPでの音源リリースが主で現在はどれも廃盤となっています。2005年に待望のベスト盤「Very Best of Cigaretteman」のリリースが発表されましたが、結果としては発売中止に。Snuffy Smileや名古屋のパンクレーベルSkippyから出た音源を中心にまとめたファン垂涎の内容だったため、今もなお発売を望む声も多い夢の一枚です。切ないメロディと哀愁のパンクサウンドが織りなす楽曲たちが魅力のCigarettemanは、90年代メロディックパンク史に欠かせない存在です。

TROPICAL GORILLA

 1991年結成。スラッシュメタル、スカ、メロディックパンクを飲み込んだ独自のサウンドで突っ走るパンクバンド“TROPICAL GORILLA”(トロピカルゴリラ)

 トロゴリの愛称でも親しまれ、東京町田市を中心に全国各地のライブハウスを熱狂させ続けてきた、パンクを愛しパンクに愛されたバンド。ゴリゴリのパンクサウンドでパンクファン達の心を掴み続ける一方で、スプリット作品もある盟友BEAT CRUSADERSのミュージックビデオにベース・Cimが度々登場していることでも有名。ちなみにCimはOi-SKALL MATESのメンバーとしても活動しています。

 そんな骨太さと親しみやすさを兼ね備えたトロゴリの作品といえば、やはり2000年2月21日発売1stアルバム『mucho meteor’s POPSKULL』はマスト。畳み掛けるショートチューンの数々は何周しても味がします。パンクロックの持つ激しさと、汗臭くも泥臭い雑草魂に溢れたスタイル。それでいて自然と気分が高揚していくようなライブ感溢れる楽曲たちに、居ても立ってもいられない気持ちにさせられます。

CAPTAIN HEDGE HOG

 1993年結成。横浜発。どこか切ないメロディラインで独自の存在感を示すスリーピース・メロディック・パンクバンド“CAPTAIN HEDGE HOG”(キャプテンヘッジホッグ)。
 2002年7月4日の解散ライブ“LAST GIG”にて解散。その後はギターボーカル・渡邊忍がASPARAGUSを結成し活動中。ドラム奥脇雄一郎はPuliを経てBEEFとして活動しています。CAPTAIN HEDGE HOGとしては、2009年に期間限定での再結成をしました。それ以後も事あるごとに集結してはライブ活動を継続してくれています。

 そんなCAPTAIN HEDGE HOG解散前最後のアルバムとなったのが、2001年9月21日発売、3rdアルバム『DOLPHIN』胸を締め付けるような切なくエモーショナルなメロディを、繊細さを感じる唯一無二のボーカルが彩る楽曲群。メロディックパンクと言えるけれどメロディックパンクらしくない、CAPTAIN HEDGE HOGならではの魅力が存分に発揮されている傑作。歌詞は日本語じゃないのに、日本らしさを端々で感じさせられるのがまた良い。

SHERBET

 1993年結成。90年代のメロディックシーンを賑わせ、人気絶頂で解散した横浜発スリーピースバンド“SHERBET”(シャーベット)。
 1995年にSnuffy Smileより7インチ『Let’s Go Get’Em』をリリース、その後、PIZZA OF DEATHより1stフルアルバム『SHERBET』をリリース。8cm CDシングル『Your Choiceを最後に、人気絶頂の中で解散しました。その後、SHERBETはREACHTHUMBという別のバンドへと進んでいき、その後SLIME BALLとして再集結していきます。

 そんな彼らがリリースした唯一のアルバム作品となるのが1996年発売1stフルアルバム『SHERBET』
 PIZZA OF DEATHよりリリースされ、Hi-STANDARD難波氏プロデュース作品でもあります。ハイトーンとダミ声ハスキーボイスの掛け合うようなツインボーカルが光る疾走感溢れる楽曲達に自然とテンションが上がること間違いなし。90年代の半ばを文字通り駆け抜けて解散していったSHERBETというバンドの存在証明の一枚でありながら、あの時代を生きていた人々の青春をそのまま詰め込んだような煌めきがこの作品にあるような気がします。ラストシングルである「Your Choice」も素晴らしい楽曲なのでぜひ。

総括

 メロディックパンクを追いかけて早十数年。
 90年代前半というと自分が生まれた頃に結成されたバンド達なので、ハイスタ世代・AIRJAM世代の方々からすると永遠のヒヨッコではありますが、後追いながらも夢中にさせられているバンド達です。今はもう解散していたり別のバンドを組んでいたりしているバンドもいたりとライブ感のあるレビューとは言えませんが、今までに音源を聴き、残っているライブ映像などを見て感じたことと共にまとめさせていただきました。
 メロディックパンクを語る上で外せないハイスタを中心に、もうすでに解散や活動休止をしているものの忘れられてはいけない名バンドたち。まだまだ掘り甲斐があるジャンルだと思っていますし、今なお進化し続けているジャンルなので、ぜひメロディックパンクの魅力を感じていただけたら嬉しいです。現段階では90年代前半バンドはこちらで以上ですが、ディグっているうちにひっそり加筆されているかもしれません。
 メロディックパンクの沼は深い。お次は90年代後半結成バンド編でお会いしましょう!

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  1. 引用元:「一時はHi-STANDARDがFat Wreck Chordsで最も売れたバンドだった」と後にFat MiKeが語る…PIZZA OF DEATH公式HPより 恒岡章の追悼盤である「I’M A RAT」発売に際して寄せられたFat Mikeのコメントにて語られています。 ▶︎ https://www.pizzaofdeath.com/2023/04/27/post-145454/ ↩︎
  2. 【レーベル解説】ハウリング・ブル(HOWLING BULL)…株式会社ハウリング・ブル・エンターテイメント。ハウブルの略称で親しまれるパンクロック、ヘヴィメタル系のインディーズ・レーベル。AIR JAMはハウブル傘下の時代に始まった企画。 ↩︎
  3. 【音楽用語】クロスオーバー(Crossover)…音楽ジャンルの垣根を越え、それぞれの音楽性を融合させてできた音楽スタイルのこと。 ↩︎

増井 鮫

平成生まれ平成育ち。好きなジャンルは日本のロック・ポップス、インディーズ、メロディックパンク、アイドル。元レコ屋店員。発散場所がなくなったのでブログ開設。売りは熱量のみというしがないオタクです。

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